ここにこうして
『有り続けることが難しいにも拘わらず有り続けてくれる』
そんな奇跡に対する感謝の気持ちを顕す時 人は
『有り難う』
という言葉にして伝えるのではないでしょうか。
ペタを頂く・・・『有り難い・有り難う』
いいね を頂く・・・『有り難い・有り難う』
リツイートして下さる・・・『有り難い・有り難う』
リブログして下さる・・・『有り難い・有り難う』
フォローして下さる・・・『有り難い・有り難う』
シェアして下さる・・・『有り難い・有り難う』
コメントを下さる・・・『有り難い・有り難う』
記事を読んで下さる・・・『有り難い・有り難う』
どれもこれもが今、ここにこうして
『有り続けることが難しいにも拘わらず有り続けて下さる』
当たり前のように頂くことの出来る お心遣いなど ひとつとして存在しないにも拘らず
当SNSには毎日、皆様からのペタや いいね をはじめ
沢山のお心遣いを賜っております。
来る日も来る日も、ここにこうしてペタや いいね の印が有るということが
『有り続けるということが どれほど難しいことか』
誠に僭越ながら仮に、仮に私という人間が
ペタを頂けること、いいねを頂けること
或は毎日ご飯が食べられること、愛する人と共に過ごせること・・・etc
に感謝出来る人間だとします。
されど、譬えそうであったとしても その反面
常に止まることなく休むことなく続けられる生命の営み=呼吸
それに伴い摂り入れられる、人体にとって必要不可欠なる『空気』に対して感謝することなど
いとも簡単に忘れ果てている・・・
たった3分間でも、その供給がストップしたなら生命を維持することなど不可能なのに。
全ては同じことなのに。
大切な人が今も こうしてここに何事もなく健康で無事に有り続けてくれる。
自分の心臓や肺が、自分で意識せずとも
1秒たりとも休まず動き続けてくれている。
当たり前のように感じてしまいがちなれど、これほど
『今も こうしてここに有り続けることが難しいにも拘らず有り続けてくれること』
などありませんね。
そんな『奇跡』に気付いた時、人は自ずと
『有り難うございます』
との言葉になり、そこから更に意識が拡がり
『世界人類が平和でありますように』
と祈れるのだと感じます。
そこに繋がって行くのだと感じます。
この世で、どんなに巨万の富を得ようとも
勝ち組と呼ばれようとも、人より仕事が出来ようとも
知識を豊富に蓄えようとも、人からどんなに「凄いね!」と云われようとも・・・
たった ひとこと
『有り難うございます』
との感謝の想いが生まれないなら、その言葉が伝えられないなら
人として、これほど哀しいことはないのではないでしょうか。
いつも当ブログ「詩は祈り」とお付き合い下さっている皆様
今も、そしていつも
ここにこうして有り続けることが難しい、それほどの奇跡を
お心遣いという尊き形にて顕し続け、有り続けて下さり
『心より、有り難うございます』
これからも何卒、宜しくお願い申し上げます。
皆様の天命が完うされますように
世界人類が平和でありますように
無限なる感謝を込めて
ライヴに来れないアナタに届けたい愛がある
「世界人類が平和でありますように」 作詩作曲:小林洋一