喩えば、それが主婦の方ならば
「日々、家族の健康を考え願い作る食事」は
それそのものが、即ち「祈り」である。
喩えばそれが、病で寝たきりの方であるならば
傍目には何もしていないように見えても
「心の中で、家族や医師 看護師の方を案じ
感謝の想いを送って生活して居られるなら」
その人は病人ではなく「祈り人」である。
時の総理大臣が
いつも一番の大働きをしているわけではない。
陽のあたる場所で
「自分は、こんなことをやった」
「あなたのために、これだけ命をかけた」
なんて云ってのけるのは
つまりは、ただの自己アピールである。
誰に称賛されるわけでもなく
感謝されるわけでもない。
それどころか、気付いてさえ貰えない。
・・・尤も、そんなことは望んでいないであろう。
そんな
『蔭の世界で祈りを捧げる人々』
によって、この世は廻り
日々、動いているのである。
危ういバランスが瞬々刻々修正され
「平和」が保たれているのである。
一様に彼等は、自らの行いを
賞賛されたいとか、感謝されたいとか
気付いて欲しいなどとは思っていない。
されど彼等とて「人間」である。
感謝されれば、気付いて貰えたら
当たり前で「嬉しい」のである。
「鴨の水掻き」
の喩えではないが
のんびり水に浮かぶ鴨は、一見優雅ではあるが
水面下では絶えず足で水を掻き続けている。
きっと僕等の周りにも
「このような人」が必ず存在している。
「己の辛さ、苦しみなど何処吹く風」
の如く、彼等はそれを顔に出さないが。
故に、そこに「気付けるかどうか」
は、僕等の「感性」に掛かっている。
そして僕等の周りに
『蔭の世界で祈りを捧げる人々』
を見付けることが出来たなら
素直に、こう伝えたい。
『あなたのお蔭で、私は今日も幸せです』
エネルギーは、循環してこそ意味を成す。
~本物は、蔭の世界に住んでいる~
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「おかげさまの涙」 作詩作曲:小林洋一
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「世界人類が平和でありますように」
約束 Fasting Song 世界人類が平和でありますように など収録